【独り寝のお作法】

56.華やかで生々しくエロい春画の世界! 見れば見るほど現代との違いを痛感


 人生初のストリップ観劇でいたく感動(先週の記事参照)した私は、買ったままツンドク状態にしておいた雑誌に手を伸ばしました。その体験と何かしらつながりがあるように感じたからです。その雑誌とは『芸術新潮 2015年1月号』。「月岡雪鼎の絢爛エロス」特集を目当てに購入しました。

 書店をぶらぶらしていたとき、タイトルより表紙の男女が真っ先に目に飛び込んできました。〈肉筆春画レボリューション!〉という惹句を見なくても、ただ抱きあっているだけでなく、明らかに〈真っ最中〉を描きとったものだとわかります。ふたりして頬をピンクに上気させて官能に浸りきった表情が、エロティックというより祝祭的なものに見えました。

 月岡雪鼎(つきおか せってい)とは18~19世紀を生き、美人画、肉筆春画の名手として知られた人ですが、不勉強な私にとっては初めて耳にする名前でした。一昨年の記事、「江戸時代に花開いた究極のエロ表現、『春画』を日本の美術館でも見たーい!」で触れた、大英博物館の特別展「春画-日本美術における性とたのしみ」でも、ひときわ話題をさらった絵師のようです。通常、春画として知られているものの多くは印刷物ですが、それらは江戸で流行ったもの。当時も上方(=かみがた、いまの関西地方)には江戸とはちがう独自の文化があり、そこで流行ったのが肉筆の春画なのだとか。雪鼎はそのブームの立役者でもあるそうです。

 

五感を刺激される表現

 中のページでは、表紙の男女の下半身もしっかり見せてくれていました。性器と性器でつながっているのが丸わかりですが、それだけが官能的なわけではありません。女性の足の指がぎゅーっと内側に丸められている感じ。「あー、これわかるわかる」と思わずうなずきました。私も気持ちいいと、こうなります。ほどけて乱れきっている女性の髪は黒々と豊かですが、アンダーヘアは案外ふわふわして繊細な感じ。一方で、男性のヘアはワイルドにうねっています。そして、場所によっては濡れて細い束になっているのです。女性の陰唇のすき間からのぞく粘膜より、ちらっと顔を出したクリトリスより、何よりこの濡れた毛束にエロスを感じます。

 なぜかというと、音を感じるからです。私が見ているのは絵ですから、当然、AVのようにアンアンという盛大な喘ぎ声も、激しい息づかいも聴こえてきません。エロ漫画にあるような、〈ぐちゅぐちゅ〉〈ぬぷぬぷ〉といったオノマトペもありません。なのに、その毛によって女性の濡れ具合が連想され、そこにペニスが出入りするときの音が聴こえてきて、なんなら匂いも想像され、視覚だけでなくいろんな感覚が喚起されるのです。

 肉筆春画は1点モノの贅沢品。当時の上流階級の人のために書かれたものなので、惹句にもあったとおり、まさに豪華絢爛です。本書に収録されている作品のなかには、かなりマニアックなものもあります。寝取られプレイ、張り型(ディルド)でオナニー、超熟女、獣姦……春画というとこうしたキワドいプレイがお約束な向きもありますが(タコ足の触手攻めとかね)、そうではないフツウの男女の交合が実にいいんです。濃い情を交わしあうふたりからあふれ出る多幸感が、絵にさらなる彩りを加えているように見えました。

 春画といって連想するもののひとつに、誇張されまくった性器の表現があります。本書を読んで、その流れを作ったのがこの雪鼎だったと知りました。多くの絵で男性器は極端に大きく、そこに這う血管は、突けば血がふき出すのではないかというぐらいみなぎっています。女性器の表現もたいそう生々しく、年齢を重ねた女性の性器はかなり色素沈着して赤黒くなっています。別ページにある、まだ無毛の少女(10代前半、その年齢で嫁いでいた時代)の性器とは明らかに違っていて、それはそれで種類の異なる官能がにじみ出ています。

 性器をより効果的に見せるための、粋な構成もありました。まず着衣の男女による情交が描かれ、こちらは肌をほとんど見せていないので官能度は低め……と思いながらページをめくると、その男女の交接部のドアップが描かれていました。実物の画帖にそっくり倣った構成で見せてくれているのです。精液なのか愛液なのか、白濁した液体にまみれた性器のシズル感!! 性行為=生のための営みであるということがダイレクトに伝わってくる力強さがあります。

 こうした絵において、性器は猥褻の対象としてではなく、その男女を形成するごく一部として描かれているようにも見えました。ただいたずらに人の劣情を煽るものではなく、その前のページで着衣のまま抱き合っていた男女それぞれの情を表現するものであり、誰もがこれによって生まれてきた生を表現するものであり、肉体と感情をあわせ持ち、ときにそれに翻弄される人間そのものを表現しているのだと感じられました。

性表現を見る側の姿勢

 これを〈オカズ〉にしていた人もたくさんいるでしょう。現在のようにポルノグラフィがあふれている時代ではないですから、これで初めて異性の性器を見た人もいるでしょうし、それはもう興奮MAXだったでしょう。でも、そういう時代だからこそ、1枚の性器の絵をティッシュのように使い捨てるのではなく、ありがたいものとして大切に扱っていたのではないでしょうか。女性の裸体も性交渉の様子も、消費されるものではなく尊重すべきものとして受け止められていたという気がします。ストリップ観劇で目の当たりにした、〈女体という美しい造形物を正しく鑑賞する行為〉と通じるものを感じるのです。

 同特集内では、東大教授が雪鼎の春画を「絵師が真剣に性の世界に取り組んでいることが伝わってくる。そして見る側も、人間というものに向き合わざるをえない」と評しています。勝手ながら私は、消費されないエロス・性表現を守るには、作り手だけでなく見る側の努力も問われるというメッセージを受け取りました。

 そして同書では、この雪鼎春画の後に、同教授による「股間著聞集-2014年夏の、そして冬の性器をめぐる2、3の出来事」特集へとつづきます。ここmessyでも大きな話題となった〈女性器3Dプリンター事件〉のほか、オルセー美術館で女性アーティストが自らの性器を見せたパフォーマンス、そして愛知県美術館で男性器が写りこんだ写真の撤去命令が警察から下された事件を軸に、性器と表現のあり方を問う論考です。

 消費されないエロス・性表現を見る側としても考えなおしたい……そう思っていた矢先に、その手前で勝手に〈性器=猥褻〉と見なされ、規制されてしまう現実を突きつけられてしまいました。一方、申し訳程度の1本線だけで性器を〈隠した〉ことになっているオカズ・コンテンツは世の中に氾濫しています。そのほとんどが、ただ消費されるだけのものです。その矛盾がもたらす居心地の悪さ。だからこそ、作り手も受け取り手も「真剣に性の世界に取り組む」ことのできた時代の絵が、こんなにまぶしく見えるのかもしれません。この原稿を書き終えたらいましばし、その世界に浸りたいと思います。

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■桃子さん

オトナのオモチャ200種以上を所有し、それらを試しては、使用感をブログにつづるとともに、グッズを使ったラブコミュニケーションの楽しさを発信中。著書『今夜、コレを試します(OL桃子のオモチャ日記)』ブックマン社。 ブログ twitter

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  • 質問です(1)
    金を出せばだれでも殿様扱いだよ。 ただし、セックスさせるのであれば金は貰った方がいい。 是非、都会のちんぽを沢山楽しんでください。 お土産(病気)は貰わないようにしっかりゴムを付けましょう
  • この女優さんはすごい(0)
    紗倉まなさん著作「最低」が映画化されたと ネットのニュースで紹介されてました。 映画で稼いで、AVで稼いで、売れっ子嬢は 凄いですね。

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